HiKaRin's BLOG

"I am captain of my ship and the master of my fate!"

#41 ねぇねぇ



(コソコソ…
ねぇねぇ、知っちょった?
幡多弁って高貴な言葉ながで。)


こんばんわ、HiKaRinでーす!



今日は我が家に、保育園、小学校、中学校が同じだった友人の奈穗が、ちょろっと顔だしてくれちょったよ!


何の話をしたのかは少ししか覚えちょらんけど、ハッキリと印象に残ってるのは彼女の使いよった、幡多弁

まぁ私も負けじと使ってるんだけども…



高知県には、土佐弁ともう1つ幡多弁という方言があることは、だんだんと知られて来たと思う。いや、一部では、の話?


土佐弁と幡多弁の地域的な境目は、窪川から西南地域の市町村かな?、つまり幡多郡地域かそうでないかにあります。


幡多郡ってのは、地図に見える範囲。


四万十川から西は確実に、幡多弁地域。


それぞれの違いは、、
語尾が違ったり、イントネーションが変わってきたり等。その他etc..

調べてみてww


私が気になるのは、方言の違いというよりも、どうしてこのような違いがあるのか、どうして使い始めたのかってこと。


要するに起源なわけです!

実はね、もう知っているの( ̄▽ ̄)ぐへへ


どこか違う土地へ行く度行く度、話してる気がするんだけど、これからは、
HiKaRin'sBlog参照!って説明省けるように、今日書きまーす(*^◯^*)



〜幡多弁の歴史〜

話は応仁2年、1468年にまで遡ります。


関白であった一条教房応仁の乱の混乱を避けて、所領であった土佐幡多荘へ逃げたの!

この幡多荘というのが、現在の四万十市(旧中村)にあたります。

だから、四万十市(旧中村)は、
土佐の小京都って言われてるのね。
これは有名な話。


ここを拠点として、四万十川とともに繁栄してきたのが土佐一条氏。本姓は京都における公家の藤原氏で、一条家の分家。


四万十市のイベントには、大文字の送り火や、一条さんっていうお祭りがあるのよね(^ν^)







今現在幡多郡に残っている方言、幡多弁は京都の訛りの混じった言葉のようで、高貴な言葉って言われてたんよ!



四万十市は土佐の小京都と言われていることもあって、街は碁盤の目のようになってるの。

佐清水も同じでね、


ずーっと長い直線が続く道……
清水市内の殆どがこんな道路、小道なんですよ(((o(*゚▽゚*)o)))


って、車通ってなさ過ぎ。笑




昨日、今日と歴史のお話になってしまいましたが、どーでしょう?!

明日はね、、、ふふふ
明日はまたお楽しみに!


長くなっちゃったね!

HiKaRinでしたー!